こんにちわ
昨日日曜は朝スポーツランド菅生にSuper Formulaを見に行きました。
またたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございます!!
また2年ぶりの宮城県でした。
復路の国道六号線に至っては、4年近く前が最後の記憶です。
さらに前回はその頃新開通と聞いていた道をつかえなかったので
初めて通った場所もありました。
朝ですが
名取市の閖上(ゆりあげ)に行きました。この場所は知る人ぞ知る場所で
私はSUGOの帰りよく立ち寄ってました。
この写真は、3/11にテレビにでていた歩道橋のある交差点付近です。
前はこの橋を渡って
岬の先に行っていました。
今は通行止めでいけません。
時が止まったかのようです。
そして以前のブログには閖上の写真を
たくさん載せてたのにブログごと消去してしまった...
小さな町があった通り。
この通りこの道を抜け道代わりにして
家に帰ったなあ、3年たったなあ・・・
と思ってましたら・・・
なんと!!
岬の先に朝市ができていました。
閖上に朝市が再建された話は聞いていましたが
この場所だったんだ!!
着実に変わりつつある閖上でした
前日に岩沼市の"復興された新しい町"はNHKスペシャルで放送していましたが
この閖上から一本道で行くことができます。
さて、SUGOのレース後ですが、岩沼ICから常磐道へつながるはずだった有料道路を通り
R6で帰宅しました。
このR6沿いには長年変わらぬ町があり、正直車のトラフィックも緩やかでした。
トラフィックも緩やかなので、AMラジオを聞いて帰った事を覚えています。
いつ家につくかなぁ?と思いながら。
R6は15日に"避難区域"の間も通過できるようになったので
さっそく通りました。 国道なのに自動車道の設定で通過ができます。
しかし避難区域を通る場合は自動車は窓を開けてはいけない、かつ2輪車禁止です。
当然人の立ち入りは禁止です。
この区域の風景はこの3年テレビでの報道でしか見てなかったこともあって
昼からソワソワしてしまいました。
(注: 窓を開けていけない区間が
近かったので運転席から撮りました)
真新しい看板は←の看板か
仮設住宅の案内表示でした。
道路はまだ段差があります。
駅に明かりがついていて
それに違和感があるのが
なんとも不思議でした。
これは"避難区域"での国道の写真。
昔は、あんなにトラフィックが遅かった国道が、速い速度の対抗車と
すれ違います。前の風景とは完全に異なっています。
また信号は全部黄色点滅でした。
道路の両方はすべて柵があり、右左折できないです。
2,3個所で左折できそうな場所があり、左手に目をやると原発が見えました。
そして、避難区域の最後で常磐道の富岡ICに行くため、国道を離れ、
道を右折しました。
右折した途端、センターラインや道路脇の塗装も剥がれ、あかりは一切なくて車もいません。
道を間違えたのか、と思うと時々スクリーニング場(白い服に着替える場所)が見えてきます。
対向車とすれ違っても、「この人どういう用件でここ走ってるんだろ」と思ってしまいます。
とはいえ、あかりのない町の路地に警察の方がパトロールされているのが見え
人の町だった場所と感じました。
通常インターの入り口には明かりが点灯していますが、あかりはほとんどなく
放射線量を示す看板がありました。。。 この日本語の看板をみて、ここも日本の一部なんだと思いました。
同じ日本で、数分の距離なのに全然違うのが不思議。
色々な議論があるのかもしれませんが、元は天災がきっかけ。
私が生きている間に、この地域の皆さんはどこまでもとの暮らしを取り戻せるんだろう?
私はいつもこの地域の皆様がかつての暮らしを取り戻せるといいなと
思い続けてきました。 そういう気持ちがあり、「かつての場所ってどうなったか」
今回訪ねてみましたが以前の風景がまったくなくなってしまった場所もあり、
複雑な気持ちでした。
ここ三年思い続けた事の回答をもらった気がします。
昨日の複雑な気持ちが消えるのは時間がかかりそうですが
私自身もこれから頑張りたいと思います。